フジロックで完全にバグってしまった日本のリベラル界

猛威を振るい続ける新型コロナウイルス、COVID19。いつまで新型って言ってるんだろうと思ってるのですが、新型が更なる新型に変異し続けてるのでずっと新型のままなんですかね。早く落ち着いてほしいなと思いつつ、ここ最近一気に日本で感染爆発し、1日2万人を超える感染者を出し始めました。

https://covid19.who.int/ から8月24日11時40分ごろに取得した数字

WHO発表の数字を見ると、直近7日間での新規感染者数は世界6位、10万人あたりの新規感染者数は69位です。22日に見た時は10位と77位だったので、順位を上げていますね。

日本は人口多めの国なので、10万人あたりで考えるとまぁまだマシな方ですが、絶対数はかなり上位に来てしまいました。

さてそんな中、フジロックというロックフェスティバルのイベントが開催されました。そしてこれ、観客あり。またロックというのはどうしても観客が熱狂し熱唱し絶叫するタイプなのでしょう。わりとミッチミチなことになっていたようです。

当然ですが、イベントにおける感染症対策において最も良いのは完全中止です。
開催を前提にするなら、オンライン開催がいいでしょう。今回のフジロックなら、バンド奏者側もオンラインです。次手では、バンド奏者は現地にいるが観客は無観客でオンライン視聴ですかね。人の集まりを減らせば減らすほどリスクを下げることができます。ここで大切なのは、最終的にどうするのかはイベント主催者が決めるべきであり、そこに政府などが強制力を働かせてはいけないということです。

フジロックは有観客開催となったため、そこからかなりの批判が殺到しました。その批判は、五輪推進派からも出ています。↑の写真、無観客開催となった五輪より感染リスクが激しいのは一目瞭然でしょう。そりゃあ批判も出ますよ。私も批判します。
しかし五輪推進派から批判が生じたことが主たる理由でしょうか。五輪開催直後というのも大きいでしょうか。フジロックへの批判に対してなぜかリベラル界が発狂してしまいました。

まず、出演を辞退したアーティストもいるため、「政府が無観客や中止を命じなかったせいだ!」「アーティストに責任を負わせた!」みたいな感じの話が出ていました。いやいや政府が強制力を発揮し国民の自由を制限する方がおかしいだろとツッコミどころ満載すぎて呆れました。

そして「五輪が開催できるんだからフジロックも開催できるだろ」という皮肉・嫌味の文脈が多く見受けられ、それがエスカレートして「開催して当然だ」「自由の象徴」みたいな感じでフジロックを絶賛してる方が目立つようになりました。

しかしこれおかしな話ですよね。手段と目的が入れ替わっています。
感染症対策という目的があり、そのための手段として五輪中止を求め、五輪推進派に中指を立てていたはずです。それがいつの間にか、五輪推進派に中指を立ててることが目的と化したことで、「五輪が開催できるんだからフジロック開催できるだろ」 になっているわけです。バカですね。

五輪開催を殺人五輪とまで言う人がいました。その言い方に例えましょうか?

福島さん「せんせー! 菅くんが安倍くんを殺しました! これはいけないことだと思います!」
ここまでは当然ですね。

福島さん「なので私は麻生くんを殺します! 菅くんが人を殺したのだから私も殺していいですよね!」
これ言ったらバカですよね。

感染拡大を防ごうという目的があり、そのために五輪を批判していたはずです。
しかし五輪に皮肉や嫌味をいうために自分が感染拡大を推進してどうするんですか。そんなものはバカですよ。

リベラル側の識者米山さん。
米山さんはバカとは違う人なので、どういったスタンスなのかなーと思って見てみました。すると、フジロックによる感染拡大を認識はしつつも「前者は民間、後者は公的イベント」というスタンスでした。うーん・・・ちょっとポジショントークが強くなってきている印象です。

フジロックのHPを見ると、後援として環境省、観光庁、新潟県、湯沢町、南魚沼市の名前が上がっています。大掛かりなイベント会場として場所を借りれば、県・町・市くらいなら出てくるのは当然の気もしますが、環境省の名前も出てくるとかなり公的イベント感ある気がするんですよ。

あと根本的に、公的イベントでも法に反しない以上は開催は自由だと思いますし、そのイベントを感染症対策で評価する時、その観点は密さ(感染リスクの高さ)なのではないでしょうか。公的度合いが高いと感染リスクが上がるのでしょうか。違うと思います。

バランスを取れない人はエゴイズムに陥る

感染症対策において最強の必殺技は何でしょうか。簡単ですね。国民から自由権を剥奪し、家から出るなと言えばいいです。食料だけは届けてやるから、1ヶ月、家から一歩も出るな。

一切の経済活動も強制停止し、警察や自衛隊を全動員して家から出たら即射殺するくらいの勢いで全力で自由権を剥奪してみましょう。これで1ヶ月後、いくらかの人は家で病死しますが、生き残った人たちの社会から感染症は撲滅されます。トータル的に見ればそれが最も死者が少ないかもしれません。

もちろん、そんなもの無理です。私自身も反対です。
ここで言いたいことはですね、リスクを承知で行動することと、感染症対策のために自粛することは、どちらかを選べばどちらかが犠牲になる関係にあるって話です。決して、両立はできないんですよ。なので、大切なのはバランスとなります。
このバランスを取るのが、ネトウヨやツイフェミ、限界左翼界隈、総じて「頭悪い人」と呼べる人たちは苦手なんですよね。0か100か。やるかやらないか。それでしか物事を考えられないのです。

またこの1bit脳が無理してバランスを取ろうとすると、わかりやすい例だとマスク会食とかいう変な話も出ます。「食事をすること」と「会話をすること」を別にすればいいのに、なぜか同時にやろうとしちゃうんですね。

五輪やフジロックのようなイベントのバランスの落とし所は、無観客開催だと私は思っています。イベントを開催したいという人たちの気持ちは尊重したい。でもその観客程度なら、テレビで見るくらいで我慢してもらえないだろうか。これを考えると無観客開催くらいしかないと私は思っています。
もちろん。私が考える落とし所が「正しい」というわけではありません。別の落とし所もあります。物事には様々な観点があります。しかしこのバランスを考える能力を持たない人はポジショントークに陥ります。

自分が興味あるものは、無制約で開催だ。絶対に譲歩しねぇ。俺たちの自由に口出しするな。

自分が興味ないものは、断固反対だ。即刻中止しろ。感染が広がるだろ。自分が嫌いな人が興味あるものも断固反対だ、即刻中止しろ。感染が広がるだろ。

自分目線、これをエゴイズムといいます。まぁ人の本質とも言えるかもしれませんが、カスみたいな考え方なんですよね。リベラル界は元々はバランス派だったと思うのですが、ツイフェミ界と混ざりあったことで急速にエゴイズムが強まってきています。悲しいなぁ。

フジロックで君が代が歌われたことを知った途端に態度が急変

今回のフジロック、君が代を歌う人がいたみたいです。するとこれまでフジロックを絶賛していた人々の態度が急変、日本会議がぁー!軍靴の音がぁー!となってしまいました。具体例はこのツイートの引用リプ欄あたりを見れば分かります。

これもまた不思議な反応ですよね。
「五輪で君が代歌えるなら、フジロックで君が代歌ってもいいだろ」と言った方が、フジロックを推進するなら批判側への皮肉になるんじゃないですかね。しかしそうはならず、君が代アレルギーの方が強いのでしょうか。
まぁ私も学生時代、君が代なんて歌いませんでしたけど、それは別に君が代を歌うことを否定するわけじゃないんですよね。私は歌いませんよ。私以外の人が歌うかどうかは、私には関係がないし興味もない、どうでもいいというだけです。私は自由主義者なので、私のことは私が自由に決めますし、私以外の人はその人が自由に決めればいいです。

政府に中指を立てるためにフジロックを絶賛していたと思ったら、君が代見つけてやっぱり軍靴の音がぁぁぁ。とにかく政府、日本が嫌いだというのが全ての根底にあるんだなぁと思いました。

ロックダウンを求めるリベラル という謎の存在

ところで最近、リベラル界からロックダウンを求める声が聞こえてきます。驚きました。

ロックダウンとは何ですかっていうと、政府から国民へ「家から出るな」と命じることです。海外ではよくニュースで耳にする言葉ですね。これは命令であり、違反には罰則がつきます。感染拡大阻止のため、国民の自由に制限をかけざるをえないと政府が判断し、命じます。強烈な私権制限です。感染拡大阻止のためとはいえ、これは自由とは真逆なんですよね。自由を尊重する人から見れば、ロックダウンなど絶対に阻止すべき政策です。

感染ゼロ戦略を取り、強力なロックダウンを実施中の国だと、オーストラリアがあります。最近ツイッターでは、「オーストラリアは凄い!ロックダウンして手厚い補償をしてる!」と崇めているツイートをよく見かけます。

そんなオーストラリアは、ロックダウンしてるけど感染ゼロ戦略がうまくいかず、1ヶ月単位で延長。

シドニー、ロックダウンが4週間延長に(オーストラリア) | ビジネス短信

ロックダウン反対デモ、ほぼ暴動のようなものも起き。

豪各地でロックダウンに抗議デモ、警察と衝突 数百人逮捕 - BBCニュース
オーストラリアのメルボルンとシドニーで21日、新型コロナウイルス対策のロックダウンに抗議して数千人が集まり、警官隊と衝突した。

感染ゼロ戦略を直ちにやめるわけではないが、永遠にロックダウンし続けることはできないため、どこかで切り替える必要があると発表したり。

豪首相、「感染ゼロ戦略」を断念
オーストラリアのモリソン首相は22日、厳格な国境封鎖やロックダウン(都市封鎖)によって新型コロナウイルスの「市中感染ゼロ」を目指す戦略を断念したことを認めた。公…

ロックダウンしたから直ちに問題が解決するわけじゃないんですよね。上述した、家から出たら即射殺する勢いのロックダウンならば理論上1ヶ月で解決するんですけど、そこまでのロックダウンはできません。最低限の経済活動や日常生活の買い物、健康維持程度の外出程度は許されます。それだと結局感染ゼロは厳しいのです。

ロックダウンは素晴らしい。ロックダウンをすれば救われる。なんてことは幻想です。ロックダウンには良い面も悪い面もあります。日本はロックダウンを一切していないので、政府のやることは全て気に食わず、政府がやらないことなら理想だと思う人々には、ロックダウンは素晴らしいものだと錯覚しているのかもですね。

驚くことに、立憲民主党側からロックダウンの声が聞こえます。

ロックダウン法制「検討はすべき」 立民・福山幹事長
立憲民主党の福山哲郎幹事長は10日の記者会見で、新型コロナウイルス対策のロックダウン(都市封鎖)について「法的な検討はすべきだ」との見解を示した。自粛要請下で営業を続ける飲

ロックダウンは、強い政府による国民の自由権の剥奪です。感染症対策という目的はあれど、国民から自由を剥奪します。自由を尊重する私には到底考えられません。ロックダウンを求めるならもうお前はリベラルを名乗るのをやめてファシストを名乗れと言いたくなります。

リベラルは自由主義ではなく功利主義である。というのが私の持論です。
リベラルはあくまでも全体としての利益を追求する思想であり、その過程でなるべく自由である方がいいよねっていうだけです。全体としての利益が上回ると判断すれば、平気で個人の自由を制限しようとします。自由主義とはリバタリアニズムだけです。

追記というかあとがきというか

ロックダウンを求めるのって、「菅義偉!俺たちの人権を制限してくれぇ!」と言ってるのと全く同じなのですが、なんでこうなっちゃうんですかね。ちょっと考えました。

イベントなどを開催するか自粛するか。自分の自由で選択するわけですが、自己選択にはその結果を受け入れる心も必要です。自由には責任がついてまわります。もう1年半、ずっと自己選択し続けてきて、その選択結果を受けてきました。
良かったことも悪かったことも全て自分で選んだ結果ですが、コロナ禍では悪かったことばかりなので、もう自分で決めるのは疲れたので誰かに命じてほしいとなってるのかなと思いました。

コメント

  1. 匿名 より:

    存在そのものがバグ(虫ケラ)同然のお前が言えた話かよ!

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