ポリコレ社会が抱える問題:先進国は少子化で滅ぶ

先進国における文明的で裕福な暮らしと、出生率はトレードオフの関係にあります。
出生率が人口据置水準を超えないと、人口減によりいずれ消滅します。ただの算数の話です。日本もこのままだとあと1000年で絶滅すると言われていますね。

出生率なんかより女性の人権の方が大事

という言葉を含むツイートを先日見かけました。
いやはや、ここまで断言されると非常にわかりやすいですね。これこそがポリコレ社会が抱える問題です。この考えは政治的・社会的に非常に正しいのですが、すべての人がそう考えれば、人類が絶滅します。これは私が定期的にツイッターで話題にしている話でもあります(わりと話題がループする)。

先日もこのツイートをしました。
するとどうでしょうか。頭のおかしい人がこれを「社会の持続性のために女性から人権を奪え」と解釈してしまったようです。そのような話はどこにも書いていないのですが、頭のおかしい人は文章を読むのが苦手で、また譲歩するとかそういう知性を持ちません。そのため「歩み寄る」という表現から、自分が否定された=人権が否定されたと解釈するのでしょう。 もう怒り狂って暴言投げてくる人については、申し訳ありませんがこちらも人間ですので、「うるせーよバカ野郎」としか感じません。
しかし理性的に、会話をしようとしてくる人に対しては、「それは勘違いですよ、私はこういう考えですよ」と会話でなるべく返すようにしています。ほとんどの人は、ああなるほど、それは勘違いでしたすみませんと理解してくれます。

とは言え全員に律儀に同じ会話をし続けるのも限界なので、ブログ記事にしておくことにしました。

先進国は少子化になる

先進国は必ず少子化になります。これは統計的データから誰でも分かることです。また、体感でもそうですよね。

各国、少子化対策に頑張っていますが、まだまだ「人口据置水準を超える」を満たせる国はありません。フランスはかなり良いところまでいきましたが、ここ数年また減少傾向にあり、まだまだ安定しているとは言えない状態です。それに移民(貧困層がそれなりにいる)によるブーストがあり、国で平均程度に裕福な家庭では、人口据置水準は超えられないという状態です。貧困層は子供が増えますので。

さて、ではどうして先進国だと少子化になるのか。大きく分けて2つあります。それは「教育コスト」と「娯楽」ですね。

まず教育コスト。こちらはすぐ済む話です。
子供が労働力となる社会と違い、先進国では子供は20年かけて高度な教育を施す存在です。教育コストがかかります。産むことは経済的にマイナスとなります。貧困国では教育コストなんてものはほぼなく、すぐに労働力になるため、気軽に産むことができます。先進国では、裕福であるがために経済的な理由で産めなくなるという現象が発生します。

そして娯楽。
文明が進めば進むほど、子供を産み育てることより自分の人生を楽しみたいという人が増えます。
「あなたの人生の目的は子供を産むことだ」という前提の社会で生まれ育った人と、「あなたにはあなたの人生がある、あなたの好きに生きなさい」という前提の社会で生まれ育った人だと、そりゃあ前者は子供を産むことが一番の幸せだと信じます。そして後者は人生の中で見つけた何かに幸せを見出します。人によっては子供を産むことが一番の幸せと思いますが、大量の選択肢の中の一つにしかなりません。
ちなみに、前者は「子供を産むことが重要である」という社会的洗脳として扱われ、「悪」とされがちですが、洗脳であるという意味では、後者もまた同じです。あくまでも現代の先進国の一般的な標準的価値観では、後者を善と扱っているだけです。悪には悪の善があるとかそういう話です。

また、娯楽に不足があると出生率は上がります。セックスは男女が1人ずついるだけで実施可能な娯楽の一つですので、それしかなければ出生率は上がります。これは同じ国内でも、娯楽の少ない田舎ほど子供が多いことの要因の一つになっているでしょう。そして先進国の豊富な娯楽は、もはやその全てを謳歌するには寿命という時間が足りない水準となりました。現実はお金の方が足りないんですけどね。

これは「子供は何人欲しいですか?」という統計が、年々減っていることから分かります。男女平等や教育支援が100%完璧とは言いませんが、各国一歩ずつ進んでいるのに、人が子供を欲する数はだんだんと減っているのです。これはもう、それに並行して進んでいる娯楽の拡充が主たる要因だと私は思います。
フランスではこの「子供欲しい数」が人口置換水準を下回っています。フランスは先進国内では少子化対策がかなり進んでいて出生率は高い水準なのですが、子供を欲する数自体は少なめなのです。つまり、本心としては子供はもう十分だけど、何か別の目的のために産んでるということですね。

子供を産み育てるのは先進国では最低20年の歳月がかかります。人生を楽しむのに金も時間も足りません。子供を育てるのは自分の人生の全てではないのに、子供を育てるには20年を捧げる。これはもう、必ず何かが犠牲になってしまいます。もう説明する必要なく、そういうものなのです。子供を産み育てるというのは、決して少なくない自己犠牲を前提としています。
その中でも、特に女性に負担が多いですね。妊娠 出産は女性しかできません。しかも若いうちしかできないという側面も。自分の人生を謳歌していたら、妊娠出産育児してる暇、そりゃ、無いですよ。

妊娠出産の強制はもちろんできない

先進国は少子化になります。
自主的に自分の意思で「産みたい」と思った人だけが産むのが理想ですが、それだと社会の維持に必要な数に満たないのが現実です。人口据置水準を超えないので、いつか滅びます。

とは言え、過去のように女性へ産むことを強制などできるわけがありません。そんなことをしてはいけません。最大限可能なことは、交渉の末に、本人の意思で納得 同意して産むことを選んでもらうことだけです。しかしそれは、誰かが本当は嫌なのにやることになります。これは結局、人権を犠牲にするということに他なりません。また、妊娠 出産は交渉が非常に難しいという話があります。

似たような問題はまだ解決しやすい

妊娠 出産は交渉が非常に難しいという話があります。その話をする前に、似たような問題を抱える、お仕事や住む場所の話をしましょう。これらは似た問題を抱えつつも、妊娠 出産より簡単な話なので、理解を促すことに使えます。

仕事

みんなやりたくない嫌な仕事ってありますよね。超身近な例だと、トイレ掃除。嫌ですね。でも社会には絶対に必要な仕事です。そして自主的にトイレ掃除をしたがる人”だけ”では、その社会の需要に答えることができません。誰かが、嫌でもやらないといけません。

とはいえ「やれ」と強制はできません。強制したらそれは奴隷です。

こういった時は、何か条件をつけ、本人に納得してもらい、本当はやりたくない仕事をやることに同意してもらう必要があります。そして仕事はこの話がとても簡単です。お金です。これで解決ですね。

社会システム上、仕事とはそもそもお金という明確な対価を前提になっています。やりたくない仕事には、お金を出すことで、やることに同意してもらう。仕事であればこれで解決です。簡単ですね。お金を増やせば全て解決します。

いやまぁ資本主義での現実は「やりたい/やりたくない」よりも「できる/できない」が重視されるのですけどね。どうしても貧富の差がありますので、誰でもできるが誰もやりたくない仕事は、給料低くても受け入れる人が出てくるため、お金で解決したようには見えません。それでも理論上は、お金で仕事は解決します。

居住地

住む場所。誰もが我慢することなく自由気ままに住む場所を選べば、おおよそ都市部へ集中します。地方は過疎、都市部は過密に耐えられません。社会には人口の分散がどうしても必要です。

しかしそれで「都市部から地方へ強制送還」をしたら、これは仕事でいう奴隷と同じです。人権の侵害です。

では、何か条件をつけ、本人に納得してもらい、本当はやりたくない移住に同意してもらうにはどうすればいいでしょうか。仕事より少し難しい話になります。この交渉の落とし所はだいぶ難しくなります。

仕事での解決策、お金。対価。これも居住地にはありますね。たとえば仕事付きで移住者を募るとか、補助金付きで移住者を募るとか。そういった方法で、本心であれば都市部に住みたい人に、地方移住を受け入れてもらおうという取り組みがあります。それだけではまだまだ移住者が不足しますが、効果はあります。

また、個人の仕事ではあまり出てこない観点として、社会福祉という観点があります。地方を再開発して魅力をアップさせ、自主的に移住してくれるのを狙うものです。しかしどれだけ再開発してもしょせんは都市未満であり、都市以上にはなりません。もし都市を超えれば、その時、そこが都市部となります。都市部だった場所は、地方となります。どちらにせよ快適な都市部へ人は集中してきます。地域差をなるべくなくし、フラットにすることで、魅力的な都市部へ出ていくことを減らすことはできますが、少しは差が出てしまうので、流出はあります。
また、都市部の住民から見れば「あんな誰も住んでねーところに金かけるより、こっちを優先しろよ」となります。都市が発展すれば発展するほどその維持保守にコストがかかりますしね。コストは国民の税金から出すしかありませんし、自分の人生を謳歌することが一番重要であるという価値観の先進国では、自分が住むところに投資して欲しいという声が高まります。社会福祉にはこういう社会全体のバランスが登場するので、問題は難しくなります。

では都市部の意見を受け入れ、都市部にだけにひたすら投資して人口増に耐えられるようにし、地方には死んでもらってはどうでしょうか。まぁ、無理ですね。その都市内に、新たな都市部分と地方部分の格差が産まれ、より発展した方へ集中していくだけでしょう。東京でいう23区とソレ以外みたいな状態ですかね。いずれにせよ都市部に限界がきます。

他にも、在宅ワークを拡充することで地方最大のデメリット「仕事がない」を解決しようとするなど、欠点を埋めるといった施策もあります。まだまだ都市部と地方を完璧に両立させる落とし所は見つかっていないと思いますが、ゴールに向けて一歩ずつ進んでいるとは感じます。

妊娠 出産はバランスの調整がほぼ不可能

さて、妊娠 出産の話をしましょう。
妊娠 出産、そして育児、成人するまでの養育。これらには仕事でいうお金のような明確な対価がありません。そもそも対価を得るために行う前提になっていない行為であり、本質的には生命活動の一環です。呼吸する。ご飯を食べる。うんちをする。寝る。本質的にはそれらと同じです。

また子ども手当など明確なお金を出すことはできますが、産んだら得する状態にはできません。それは、子育てコストがあまりにも高すぎるのが原因です。もし産むことによって子育てコストを補って余りある報酬が得られると、どうなるでしょうか。まず財源は単身者から絶望的な額を徴収することになりますよね。結果としては、産みたくない人でも経済的事情から無理して産むことになります。これは人権、産まない自由を侵害します。
また、子供を産まなければ生活できない状態に陥りますので、子供が金儲けの道具と化するという問題も生み出します。これも人権問題に繋がります。

また、仕事は非常に細かい調整ができます。時間も内容も何もかも調整できます。
その稼ぎで生活できるかどうかは別として、週に1日だけとか、1日の労働時間を短くするとか、自由自在に無理のない範囲で調整し、同意を取ることができます。居住地も、仕事ほど柔軟ではありませんが、「地方暮らしを試してみて、やっぱり受け入れられなければ都市部へ戻る」という選択が可能です。

しかし妊娠 出産、そして育児、これらの内容は調整がほとんどできません。出産は1人単位です。半分だけ産むなんてことはできません。育児は子供が成人するまでの約20年必要で、1年だけとかはできません。そして、一度やったらもう後戻りもできません。子供産んでみたけどやっぱり育児つらいのでやめますと子供を捨てたら、それはもう子供の人権への重篤な侵害に他なりませんし、普通に犯罪です。

妊娠 出産、そして育児 養育。これは親となる者2人に多大な負担を強いるものです。
その中でも妊娠 出産は女性のみに負担がかかり、育児においても授乳期間はなるべく母乳が良いのが栄養学的に分かっていますので、やはり女性の負担が高くなります。その後の養育期間では男女差はほぼなくなりますが、そこが一番長く、約20年。20年も自分の人生の時間の相当数を子に捧げるのは本当に凄い自己犠牲です。
これほどまでの自己犠牲を伴い、お試し・中断もできない。それを「本心では嫌だけど同意して行う」という方向に交渉でもっていけるのでしょうか。無理です。特に女性は負担が高いのでなおさらです。本心で嫌なら、それは到底受け入れられないものになってしまいます。

自主的に産みたいと思った人”だけ”が産むと、人口置換水準を超えることができません。多くの夫婦が「あと一人頑張ろう!」として、はじめて人口置換水準を超えるものです。しかしそのあと一人というハードルは非常に高く、調整できず、自己犠牲を伴う。人権だけを考えていたら、この交渉をすることすらも難しいでしょう。
またこれは妊娠 出産に限った話でなく、交渉という行為自体を、人権だけを考えている人は否定しがちという側面もありますね。強情で、歩み寄る気が1ミリもない人たちです。

最大多数の最大幸福を目指すのは理想です。しかし理想は空想であり現実は厳しいのです。最大多数の最大幸福を目指しても、100%の人が100%の幸せにはなれません。
80%の人が100%の幸せなら、できるかもしれません。20%の人には泣いてもらいます。
100%の人が80%の幸せなら、できるかもしれません。誰も最高の幸福にはなりません。
先進国における文明的で裕福な暮らしと出生率には、そういった、両方を100%完璧にすることはできないという関係があります。 トレードオフの関係です。

そして先進国に住む私達にとっては、「先進国における文明的で裕福な暮らし」が保障されることこそがまさに人権と言えます。人権と出生率はトレードオフです。特に負担が大きい女性の人権に大きな影響があります。

トレードオフと言っても、決して、0か100かみたいな関係ではありませんよ。出生率のために人権を全て放棄する必要はありませんし、人権のために出生率が0になるわけでもありません。
ゲームをやったことがある人にわかりやすい表現をするなら、そうですね。全部で120ポイントを渡されて、「人権」と「出生率」に自由に振り分けて良いというパラメータ配分を想像してください。社会的に必要最低限求められるのは、どちらも70ポイントです。
人権60 出生率60にすると、どっちも足りません。 人権70 出生率50にすると、出生率がもっと足りません。人権50 出生率70にすると、人権がもっと足りません。
パラメータの振り分けの最適なバランスはどこなのか。落とし所は見つかっていません。

↑のツイッターで言っていることは、この「落とし所が見つかっていない」ということだけです。ツイッターで私が言っているのはここまでです。これはあくまでも現状分析の話であり、どんな意見をもつ人でもだいたい同じような結果になります。これは意見ではなくただの現実です。

この現実を元に、どのような意見を持つかでが問われます。
人権と出生率どちらを優先するのか、その優先度合いはどの程度か。ここは個人の意見です。

その上で、どういう意見を持つか

人権と出生率はトレードオフの関係にある。 そのため、人類存続のために女性には我慢を強いるべきだ。という意見を出す人がいます。私はそうは思いませんので、そう考える人の心理は知りません。

人権と出生率はトレードオフの関係にある。 だが、人権を犠牲にはできない。出生率が低くてもいいじゃないか、すぐには滅ばないぞ。という意見を出す人もいます。私はその考えです。というのも、 ほんとすぐには滅ばないんですよね。

少子化が著しいと言われる日本も、現在の少子化がこのままの場合に、日本人の絶滅は1000年後です。そんなにもかかるのです。
であれば、最初の一歩としては、まだたくさんいる「産みたいのに何か理由があって産めない人」をゼロにすることから始めるのが一番ではないかと思います。これが結果的に出生率をなるべく高く保つことに繋がりますし、歪な人口ピラミッドを解消することにも繋がると思います。そうすれば1000年以上もつわけです。

今各国が行うべきことは、人口置換水準を意識することではない。
産みたい人”だけ”が産むことでもない。
産みたい人”の全て”が埋める社会を作ること。人権を最優先。私はそう思っています。
やんわりとした人口減であれば、問題になりません。

未来の科学技術に期待する

やんわりとした人口減であれば、人類存続の危機は1000年以上先になってようやく問題となります。
そして1000年あれば、科学技術の発展が問題を解決可能にしてくれるのではないかと思います。与えられるパラメータが120から150まで増えるようなものです。

私としては、そう遠くない未来に、人工子宮が作られるのではないかと思っています。妊娠 出産は女性だけしかできません。男女平等社会においてあってはならないとされる性的役割分担が、強制的に存在するのがこの妊娠 出産です。ここ、人工子宮で置き換えれば良いだろうと私は思います。

動物実験では、人工子宮に成功しています。もうそう遠くない未来、生命倫理だとかそういうのを抜きにすれば、人間でも技術的には可能になるでしょう。クローン人間だってすでに作ることできますが、生命倫理で禁止となってるだけです。
男女のカップルを必要とすることなく、誰か一人が希望すれば自らの遺伝子を元に子供を生み出せる時代は、おそらく私が生きている間に訪れます。それが許可されるかどうかは別として、技術的には可能な時代になるでしょう。

現代の倫理観では、人工子宮なんて生命倫理に反する”おぞましい”ものだと思う人が多いでしょう。しかし倫理観なんてものは移り変わります。身近な例だと、整形だってかつてはおぞましいというものでしたが、今はプチ整形だプチ整形だと言って誰でも気軽にやるようなものになりましたね。他にはそうですね、中絶もそうでしょうか。堕胎罪は今でも法律上存在しますが、平気で中絶する社会になりました。これ、一昔前まではありえなかったんですよ。生命倫理に反する行為です。また日本では身近な例ではありませんが、「避妊」が生命倫理に反するとして禁止の文化(宗教)もありますね。

女性に妊娠 出産義務を課す人権侵害はやめろ。人工子宮を解放し真の男女平等を実現せよ。という意見が発生し、そう考える人が増えてきたら。これはフェミニズム思想的には矛盾なく組み込むことが可能です。
反対したら「女性に妊娠 出産義務を課そうとする時代遅れのファッキンミソジニスト」ですよ。そういう時代が来ても全くおかしくないのです。そしてその時代が来たら、社会は人工子宮を受け入れる日が来るでしょう。これは私が生きてる間には流石に無理だろうなと思っています。

また、人工子宮が社会的に解禁される頃には、もう遺伝子操作が可能になるでしょう。生命倫理から禁止となっていると思いますが、人工子宮によって「人為的に人を生み出す」ことが普通となった社会ならば、そこに遺伝子操作を入れることへの抵抗感も薄れているはずです。
そうなると妊娠 出産という能力を人間からなくすべきという声が出てくると思います。性別の消失です。人工子宮という場があっても、女性が産むことができる限りその差は完全な解消に至らないからです。
子供を産むときは必ず人工子宮を利用するべきだ。そう思わないのは、女性に妊娠 出産の苦痛を与えようとする時代遅れのミソジニストだ。この思想は成立します。
子供とは、「欲しい」と届け出を出した人の元へ通販のように届くものになる。その子供は遺伝子操作によって生殖能力を持たない、男でも女でもない存在。人類から生殖能力が消失し、人間工場からでないと生み出せない時代へと突入です。

人工子宮と人間工場が産まれ、子供とは機械により自動的に生産される存在となる。その次のステップは寿命の克服ですね。不老不死は無理でしょうけども、不老になるでしょう。死ぬのは事故か事件か、また「生きることに飽きた」ために自ら死を選ぶかの三択になります。すると人口増で社会が滅ばないよう、子供を産むことに厳しい制限がかかるでしょう。

人間工学へ「子供が欲しい」と届け出を出し、子供待機列へ並ぶ。どこかで誰かが死んだら、人口に余裕ができるのでその分生産し、希望を出していた人のところへ届く。
現代の倫理観からしたらありえない、ただのSF小説な世界ですが、少なくともそこに男女差は生じませんので、決して否定はできない未来なのではないかと私は思っています。

地球環境とか放射線廃棄物とか、そういったものは「未来に任せる」はほぼ無理なのですが、人口問題は「未来に任せる」が可能です。なので、任せてしまえばいいと私は思います。

それに最悪、人権無視して産めや増やせやということになれば解決可能な問題ですからね。
人権無視するくらいなら滅んだ方がマシだと思う人もいるでしょうけど、その通りに滅ぶと思います。より正確には、人権擁護派だけが滅びます。滅びそうになったら人権を守る優先度が低下し、女性という弱者が切り捨てられて産む機械にされる地域が現れます。現代でもそういう地域あるんですから。そうやって人類全体での滅びを回避するでしょう。

とりあえず今は人権最優先

未来の話はここまでにして。まとめますか。

今各国が行うべきことは、人口置換水準を意識し、産みたくない人に無理して子供を産んでもらうことではないと思います。産みたい人だけが産むことでもありません。産みたい人の全てが埋める社会を作ること。人権を最優先。私はそう思っています。やんわりとした人口減であれば、問題になりません。

そして未来、どういった形になるかは想像の話ですが、発展した科学技術が少子化問題を解決するでしょう。

これが私の意見です。
ツイッターで私に「お前は人権否定派のクソ野郎だ」と暴言を投げていた人。暴言でなくとも、私が人権否定の意見を持っていると思った人。それが全くの勘違いであることは、もう十分分かったでしょう。
そして自分がどうしてそういう勘違いをしたのか分かるでしょうか。その答えは簡単です。あなたが「歩み寄る」ということができない人だからです。
あなたは歩み寄ることができない人なので、「歩み寄った落とし所はどこか、結論が出ていない」という現実を見た時に、自らに歩み寄ることを強制されたと感じたのです。そしてあなたは人権擁護派なので、人権を捨てろと強制されたように感じたのです。もう少し、歩み寄ることを覚えて頂きたいなと思います。

コメント コメントは承認制です。

  1. 休止勢 より:

    まだお若いだろうし未婚と思われる男性が、妊娠出産育児の大変さをよく分かっててすごいなーと思いましたまる

  2. 匿名 より:

     人権の主張は当然ではありますが、現状は歪んでいると思わざるを得ません。
     ポリコレ。つまり政治的正しさが自体が悪いとは思いませんが、正直言って、昨今広まっているのはただ単に自分の気に入らない発言や表現を強引に矯正させて満足している活動としか思えません。そこに女性の人権などは存在せずただ単に自分達が不愉快なものを弾圧するだけの口実として用いているだけです。
     昨今のハリウッド映画のシリーズの世界観を壊してまでの強引な女性のキャスティングがまさにそれかと。
     日本の場合はそこにツイフェミや二次元規制を謡うレイシストの思想が混ざりより一層歪んだものになっています。男が多いのはおかしいといい強引に女をねじ込みこんな画風はポリコレ的におかしいといって勝手に難癖をつけ修正させたり、露出、胸の大きさ、外見、あらゆる事柄にポリコレ的な正しさを求めて暴言を吐いてきます。挙句はファンアート一枚取り上げてこの肌の色はホワイトウォッシュだだの言ってこれが正しいものだと修正したものをわざわざ作者に送りかえすような始末です。
     少なくともこういった者達にはポリコレに女性の人権などは最初から存在せず嫌いなものを潰す名分としか認識されていないのだとよく分かります。どれだけ礼儀正しく正論を返そうともこの手の主義者にはまるで通じない辺り一層質が悪いです。
     
     現在コロナが世界中に広まり猛威を振るっていますが、それと同時にポリコレ先進国と言われた国々程、差別などが横行しているのが明らかにされ寧ろ、ポリコレにより潜在的な差別が増加したとされる程です。この程度で歪んだポリコレ主義者が認識を改める事など期待はしていませんが、彼らの30年近い行動の結果がこれなのであれば例え歪んだものだとしてもポリコレの思想は限界があり押し付けたところで意味は無いと受け止めてほしい物です。
     自分は彼らとは違いポリコレの考えに理解は示します。
     ですが、彼らの過度な行いについては憤りしかなく、いつの日か然るべき報いを受けるべきだ。常々そう思っています。

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