多様性を受け入れることの意味とは

多様性、大切ですね。
私は人々の自由を何よりも尊重、いや、何よりもどころか、自由しか尊重しない完全自由主義の思想を持つため、多様性もまた絶対的に受け入れる考えをしています。自由と多様性ってほぼイコールの関係なので。

ところで、多様性を受け入れるというのはどういう意味かご存じの方はいますでしょうか。どうもこの意味を知らない人が多様性多様性って言ってるのが目立つんですよね。多様性を受け入れる社会とは、一言で言えば、あなたが死ぬほど不快になる社会ですよ。ちょっと真面目に語ってみますね。

こいつは何を言っているんだ。
そんなバカなことがあってたまるか。
多様性を尊重することは素晴らしいことだ。
尊重すればするほど世の中は良くなるんだ。

そう思う方が案外多いのですが、そう思う人はあまり深く考えていなかったか、もしくはバカです。多様性を受け入れることはあなたが不快になることに繋がります。多様性はあなたの快適を一切保証しません。むしろ不快になることを保証します。

理由を説明しましょう。
人々の趣味嗜好は人それぞれです。
あなたが好きなモノのことを嫌いな人がいます。あなたが嫌いなモノのことを好きな人がいます。その両方が一切の区別なく平等に公平に扱われ存在できることが、多様性を尊重することですね。

はい。バカではなく、ただ単に深く考えていなかっただけの方は、ここまでの説明でもう理解できますね。ここからはバカ向けに説明していきましょう。

尿を飲む。これは犯罪でしょうか。違いますね。
当たり前ですが、人にムリヤリ尿を飲ませるのは犯罪です。尿に限らず、何だろうと、人にムリヤリ飲ませるのはいけません。
そして自分の意志で尿を飲むのは犯罪ではありません。 尿に限らず、何だろうと、自分の意志で何かを飲むのは犯罪ではありません。

ペットボトルに尿を入れる。これも犯罪ではありません。

では、あなたの目の前でペットボトルに入れた尿を飲む者がいたらどうでしょうか。
ほとんどのケースにおいて、この者の存在はあなたを不快にするでしょう。ですが飲尿は犯罪ではありません。あなたの眼の前で採尿を開始した場合は公然わいせつ罪ですが、採尿済みのものを飲むことは犯罪ではありません。多様性を徹底的に尊重する場合、あなたはこれを受け入れる必要があります。

こいつは何を言っているんだ。
そんなバカなことがあってたまるか。
尿は飲み物じゃないだろ、アホな極論はやめろ。

バカはそう思うでしょう。ですがその考えこそが多様性を否定しています。尿を飲み物であると思う多様性、自由の否定です。日本でも時々、飲尿健康法というものが一部の人に流行ったりもします。またお隣の国中国を見ると、10歳以下の少年の尿で煮込んだゆで卵、童子蛋というものもあります。あまり一般的ではないだけで、文化によっては尿は食べ物や飲み物になるのです。
尿は飲み物ではない、なんていうのはあなた個人の感性による好き嫌いの話でしかありません。もちろん、尿は飲み物ではないとあなたが思うのは、あなたの自由ですよ。誰もそれを否定しません。そして、尿を飲み物だと思う人がいるのは、その人の自由です。誰もそれを否定しません。これが多様性を尊重するということです。
昆虫食だって同じですね。日本では馴染みがないですが食用ゴキブリだってあるんですよ。

バカ向けに説明しているものなので、明確に書きますね。あなたに尿を飲めとは言っていませんよ。書いていることだけを読んでください。ただ、あなたは尿を飲む人の存在を受け入れる必要があります。存在を受け入れるというのは、結婚しろとか、恋人になれとか、一緒に尿を飲めとか、そういうものではありません。ただそこにいることを一切否定せず認める必要があります。これをわかりやすく書くと、不快感を示し排除しようとすることは認められません
いいですか、ここでは飲尿は遠慮してほしいというお願いすらも認められません。それはミネラルウォーターを飲む人に遠慮をお願いしないことと同じです。
ミネラルウォーターを飲むのも、尿を飲むのも、全く同列に扱うのが多様性の尊重であり、平等です。飲尿愛好家のことを異常とみなすのは差別です。昆虫食も同じです。あなたの目の前で食用ゴキブリの丸焼きを食べる人のことをあなたは排除してはいけません。それはあなたの目の前でハンバーガーを食べる人のことは排除しないのと同じです。

飲尿や、食用ゴキブリの丸焼きを食べること。これを否定・排除していいのは、飲食が禁止されている場所という理由です。つまり、対象を問わず食べる・飲むことを禁止するという理由でのみ、この者を排除できます。そういった場ではなく、飲食が許されている場合、あなたは相手の行動に不快感を示すことすら許されません

こいつは何を言っているんだ。
そんなバカなことがあってたまるか。
不快だと表明するくらいの自由がオレにはある。
なにも、強制するわけではないんだ。ただ遠慮してくれと頼むだけだ。
モノを食べる・飲むのに、ここにいる必要はない。家で食ったり飲んだりすれば十分だ。

バカはそう思うでしょう。バカ向けに説明しているものなので、わかりやすく書きますね 。

私は黒い肌の人がいるのを不快に思うので、この場から消えてくれませんか?
いや別に、死ねって言ってるわけじゃないんですよ。
黒い肌の人が生きるのに、ここにいる必要はないですよね。家で生きてたら十分じゃないですか?

この発言は許されますか? いいえ、許されません。ただの差別発言です。あなたの不快は他人の自由を否定する理由とはなりません。
こういった発言が許されるのは、あなたが所有権を持つ土地です。あなたが所有権を持つ土地ならば、そこに入っていい人を選ぶ権利があなたにあります。あなたが持つ権利を行使する上であれば、それはあなたの自由です。人種性別年齢、全てを同数入れる必要などありません。どんな選び方をしても許されます。

あなたと私は違う人間です。
似た価値観を持つ人間は多いですが、100%、完全に同じ価値観を持つ人間はいません。
多様性を受け入れるということは、あなたにとって不快である価値観を受け入れることです。

こいつは何を言っているんだ。
そんなバカなことがあってたまるか。
お前にだって不快なものがあるだろ。

バカはそう思うでしょう。バカ向けに説明しているものなので、明確に書きますね 。
私は、飲尿や食用ゴキブリを見て不快にならないなど言っていません。普通に不快になりますよ。不快である価値観を受け入れるというのは、それを快適だと思うように自分の思想を変えることではありません。他の価値観と一切の優劣なく、ただ存在することを受け入れると言っているのです。

私は「尿を飲みませんか」「ゴキブリを食べませんか」と提案されたら拒否します。無理矢理口に突っ込まれたら、それは強要罪という犯罪です。そしてこれは尿でもゴキブリでも、水でもハンバーガーでも同じです。
私が何を食べるかは私が決めます。他人の気持ちでそれは変わりません。他人に私が食べるものを指図する権利はありません。ただし、私から聞かれたら「これはどう?」と提案することはできます。
他人が何を食べるかはその人が決めます。私の気持ちでそれは変わりません。 私に他人が食べるものを指図する権利はありません。ただし、他人から聞かれたら「これはどう?」と提案することはできます。

今回は飲尿と食用ゴキブリを例示しましたが、法律上存在が許されるものであればどんなものであろうと同じですよ。あなたが死ぬほど不快になってしまう、到底受け入れられない価値観も、当然のように平等に扱われる社会。それが多様性社会です。
究極的には、存在が犯罪になるものも受け入れる必要があるのが多様性を受け入れることです。というのも、存在そのものが犯罪というのは本質的には人の自由権の侵害であるためです。かつて同性愛が犯罪の時代がありました。今も同性愛が犯罪となっている国はありますが、多様性を尊重せよという人々は、同性愛の存在を受け入れるべきだと言っていますよね。法律は一定の基準とはなりますが、絶対の基準ではありません。時代が変われば法律も変わります。存在するだけで罪というのは本質的にはおかしいんですよ。存在そのものの否定はできないはずです。
とはいえ法律を軽視するべきでもないので、そこまでの多様性尊重は完全自由主義に近い考えを持たないと難しいでしょう。法律の範囲内を基準にしたものが一般的な多様性の尊重範囲です。法律の範囲内でも相当な量、あなたの不快があると思いますよ。

バカでももうわかったでしょう。
最初に書いた通り、多様性社会とはあなたが死ぬほど不快になる社会です。

そしてあなたが天国と思うほど快適である社会とは、多様性社会の逆ですね。
あなたが独裁者となり、少しでも不快に感じるものを全て抹殺していけば、いずれはあなただけの理想の社会が実現できます。人々はそれを独裁国家の暴君と呼びます。あなた以外の人は全て不快です。しかしあなたは最高に幸せです。

多様性を受け入れれば受け入れるほど、自分の不快が社会に増えます。多様性はあなたを不快にします。よく理解しましょう。よく理解した上で、私は多様性を尊重します。

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