女性が倒れた時、AEDが使用されにくい。という事実が存在します。
NHKニュース記事中でも触れられているように、学校において、小学校~中学生では男女差がないのに、高校から男女差が生じてきます。AEDは素肌に装着するため、倒れたのが女性だった時に男性が「え、脱がせていいの?」となりAED使用を躊躇うことによるものでしょう。

意識的にも、女性は、男性にAEDを使用されることに不快感や抵抗を感じやすいです。

そして男性は、女性にAEDを使用することに抵抗を感じやすいです。これらのソースはこちら。
もちろん、救命活動としてAEDを使用しようとして衣類を脱がすことで、法的責任を問われることはありません。
AEDに限らず、救命活動に失敗して結果的に死なせてしまっても、法的責任は問われないと言われてます。(※法的に明文化されていない。アメリカなどは明文化されている)
しかし、それは心理的抵抗感をなくすことには全く繋がりません。
訴えられてもほぼ確実に無罪となる。これを言い換えますと、訴えることは可能です。民事訴訟は誰でも起こせます。その結果無罪になるでしょうけど、訴えることは可能です。世間一般的な人々にとって、訴えるということ自体が重大な負担になりまります。
人が倒れている。そうすると周囲の人はエンタメ感覚で動画撮影を開始します。それらはすぐにツイッターを筆頭としたSNSへアップされます。「手付きがいやらしい」「配慮が足りていない」「乳首を凝視してる」などなど、いくらでも好き勝手に言えますね。
今の時代、そういったネット私刑と呼ばれるものにも人々は警戒しています。特に男性はすぐにセクハラと言われやすいので警戒します。心理的抵抗感があるのは当然なんですね。
人の噂も危険です。
「あの人今セクハラで訴えられて裁判中らしいよw」
社会的信用が失墜する噂ですよね。社内で広まったら会社をクビになるレベルです。
「倒れた女性を助けようとAEDを使用したら、セクハラだと喚かれてるだけなんです」と説明すれば、99.9%、ほとんどの人は「なんだそういうことだったんだ」と理解してくれますよ。じゃあ噂が飛び交う先全てにどうやって説明しに行くのでしょうか。無理です。噂への対応コストがバカになりません。
実際に、AEDの使用に関して「セクハラを許容しろと言いたいのか」と言ってる個体も存在します。世の中色んな人がいますので、常識や法律に縛られないトンデモ思考の人もいるのです。
配慮を求める というおかしな主張

NHKの記事中で、下着を脱がさずともずらす程度でいいとか、パッドを貼った後上から衣類をかけるとか、人垣を作るとかの配慮を紹介していますね。
これものすごい悪手だと思います。なぜなら「配慮を求めるな」と私は思うからです。
配慮を求めたら、その配慮をどうすればいいか分からない人が躊躇しますよ。なるべく「躊躇せずやれ」が求められる場で、なぜ様々な配慮を提案してしまうのでしょうか。
躊躇せずAEDを使用することも問題はある
AEDは躊躇せず使え。これが求められますが、これを求めると実はある問題を発生させます。
倒れている人へAEDを使用するべきかどうか。これは素人目には判断できません。必要かどうかはAEDが判断してくれるため、とりあえずAEDを貼り付けるのが救命活動として求められます。
「目の前で倒れた」であれば分かりやすいですが、では、倒れてるところへ偶然通りがかった場合はどうでしょうか。AEDが不要であった場合これは路上で寝ているだけですよね。もしかしたら、ただ酒に酔って寝ていたり、特に理由なく寝転がっていた人なのかもしれません。
すなわち、路上で寝ている人を見かけたら衣類を脱がすという行為が正当化されます。AEDを使用しようとしたんだとさえ言い張れば絶対に無罪になる必要があるわけですね。極端な話ではあるのですが、理論上はそうなってしまいます。うーん、ちょっとおかしなことになる気もします。
ではどうすればいいでしょうか。
女性に使わせればいいのでは?
こういったニュースには
「ためらわず使え!」「訴えられることはない!」「はいデマ乙!」「でも女性には配慮しろ!」
という声がネットでは飛び交うわけですね。
そして私、いつも思うんですね。
なんでそこまでして男性に使わせようとするんだろうと。
AEDは誰でも使えるように作られています。
声紋認証があり、男性声でないとロックが解除されないとかそういう機能はありません。誰でも使えます。
使用するのに力が必要ということもありません。子供でも使えます。
高いところに設置されていて、平均的な女性の慎重では取り出せないということもありません。子供でも手が届くところに設置されていることが多いです。
そして一人で使えます。たくさんの人の手を必要とするものではありません。
女性が倒れているということは、そこは男性しかいない空間ではありません。他にも女性がいるはずです。では、女性が使えばいいだけではないでしょうか。女性が女性にAEDを使用するなら、性別の違いによる配慮の必要性はかなり薄れてきます。これが最も合理的であり、救命活動の効率を低下させることもなく、配慮するまでもなく配慮が行き届いてる最善最良の方法なのではないでしょうか。私はそう思います。
なので、こういう言いがかりをつけることができるわけなんですね。
「周囲に女性がいるのに、どうしてわざわざ男性のあなたがAEDを使ったのですか? 救命というもっともらしい理由にかこつけて、胸を触りたかっただけではないですか?」
ツイッターフェミニストなら実際にそう主張しそうじゃありませんか?
いつ言い出しても不思議ではありません。すぐ何にでも「必要性がない!」と言う人々です。実際、男性が使う必要性なんてないんです。女性が使えばいいんです。
男性がAED使用を躊躇する(ことに繋がるデマを流す)のは人殺しだ。
いや男性が使わないと死ぬって、女性がAEDを使用しないこと前提なんですかね。とんでもない性差別思想ですね。女性はAEDを使えますよ。
医師という、厳しい国家試験を通った専門職に対してですら同性を求める人々です。医者から男性を排除したら、医療の手が足りなさすぎて大変なことになりますが、AEDは違います。街中でその場に居合わせた人の中からたった1人を選ぶだけでいいんです。AEDの使用を女性だけにしてもリソースは足ります。女性がやればいいんですよ。私はそう思います。
そのうち価値観をアップデートしてツイッターフェミニストたちもそう主張するようになると思います。だって、ここを男性にやらせる必要性ないんですもの。
ただ、この者たちは自覚なき家父長制の支持者ですので、こういった社会貢献や救命活動などは基本的に「男がやるべき」と無意識に思ってるんですよね。

去年バズってたAED嘘松。
嘘松ですら、女性ではなく男性が活躍するストーリーにするんですよね。なのでもしかしたらAEDだけは延々と男性に求めるかもしれません。ですが、女性が使えばいいと私は思っています。
念のために書いておきますが、私自身がもしAEDが必要な場に居合わせたら、見殺しにはしませんよ。周囲の女性にAED使用を依頼します。AEDを取りに行くとか、救急車を呼ぶとか、男性でもできることは私がやります。女性の身体に触れるのだけは女性にお願いします。
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