【コラム】平成初期生まれは最も恵まれた世代なのではないかという話

平成も終わりが近づきました。最近思うことがあるので、このブログとしてはメチャクチャ久しぶりなコラム記事です。
タイトルの通り「平成初期生まれが恵まれているのではないか」というものなのですが、恵まれているというのには少し語弊があるかもしれませんね。まぁ、書いてみましょう。

アナログを知る最後の世代

平成初期生まれ。1990年前後生まれ。平成元年生まれは2019年からついに30歳へと突入します。そろそろ若者とは言えなくなってきた世代ですね。私もその世代です。

平成初期世代の幼少期は、アナログ機器最後の全盛期でありました。例えば親が子供の姿を動画に残す時、その手には、カセットテープが入ったビデオカメラが握られていました。もう少し古い世代では動画撮影機器が存在せず、写真でしか記録が残っていません。そしてもう少し新しい世代ではSDカードとなり、アナログ機器を知りません。アナログ機器を現役で使った最後の世代が、平成初期生まれです。

アナログ機器は、CPUによる処理で全てが完結するデジタルデバイスとは異なり、物理的に動きます。CPUもマイクロな目で見れば物理現象ですが、目には見えません。この物理的な作用や刺激は、液晶画面上で再現される映像と比べ、幼少期の知能の発達に良い作用があると言われていますね。本当に良い作用があるのかどうかについては、諸々意見があるものの、私としては、良い作用があると信じています。なぜそうなるのかということを物理的な目線で知ることができるのと、ただそうなるように作られているだけのものでは、やはり気付きが違うでしょう。ニュートンは木からりんごが落ちるのを見て万有引力を思いついたと言いますが、木から落ちるように作られている映像では、そのような気付きはなかったのではないかと私は思います。

近年では「電子書籍の絵本」だけ育った幼児が、何も映っていない画面をひたすらスリスリするというものもありますね。もしこれが物理的な本であれば、ページをめくったり、ページを折ったり、破ったり、口に入れたらまずかったり、落書きしたり、様々な刺激を生み出します。電源が落ちた電子書籍に、そのようなものはありません。

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パズルボックス。幼児はこれで遊ぶと「持つ・出す・入れる」などの物理的な作用を学びます。これをタブレットの画面上で再現した時、幼児の脳はそれを正しく学ぶのでしょうか。決まった動作しかしないデジタルデバイスは、大人にとっては便利であっても、子供にとっては無限の刺激を生み出すアナログの可能性が存在しないだけの物体であると思います。

「フリン効果」という言葉をご存知でしょうか。これは20世紀に、人類のIQの平均が向上し続けているという現象に名付けられた言葉です。20世紀はまさに急速な技術発展が起こった時代です。空を飛ぶ飛行機の発明だって、実はまだたったの100年ちょい前の話なのですよね。子供の教育にもどんどん改善が起こった時代でもあります。100年もさかのぼれば、子供は幼少期の知育はもちろん、教育も満足に受けていない時代です。それがどんどん知育 教育の意識が進み――因果関係があるかは不明だが――、平行してどんどんIQも向上したのです。
そしてこのフリン効果は、終わりました。100年上がり続けていた人類のIQは近年、上昇が停止したと言われています。なぜ止まったのか原因を正確に突き止めることが出来たらそれはもうどっかの研究論文クラスなので、このブログ記事ではあくまでも私の勝手な想像話でしかないのですが、私にはやはり、アナログ機器の終焉による、幼少期の知能の発達の鈍化なんじゃないかと感じてしまいます。

歪んだ情報に触れずに育った世代

現代のインターネットは、やろうと思えば簡単に、有害情報へアクセスができます。
各社フィルタリングサービスはありますが、フィルタリングには限界があり、フィルタリングをすり抜けて有害情報が子供の手元に届くことだったります。また今の日本では歴史上の人や物を手当たり次第に美少女化するという異常性欲の不快で気持ち悪いものが蔓延していますが、これはフィルタリングされません
フィルタリングとは所詮、エロのフィルタリングです。ホワイトリスト形式のギチギチフィルタリングでもなければ、エロではない美少女画像レベルなら余裕で表示されてしまいます。

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セーフサーチをオンにして「ネロ」で検索すると、見事に美少女まみれ。気持ち悪いですね。

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私が期待する「ネロ」の検索結果はこれ。

最近のインターネットでは「広告」がよくありますが、この広告でも、ド直球ストレートなエロいものがよく流されます。追跡型広告でなくてもです。最大手の広告サービスと言えるGoogleアドセンスですら、チェックを通り抜けてウイルス広告が出てしまうことがあるくらいです。ましては、ウイルスではないただのエロ広告なんて余裕です。つまり、どんなサイトでも危険です。

また日本は性教育が遅れている国でもあります。これがどれだけ遅れているかについて語るだけで一つ二つ濃密な記事書けるのですが、それはまたの機会にしましょう。グローバルスタンダードから見て、日本は20年以上は遅れています。現代のグローバルスタンダードな性教育では、基本的人権、ジェンダー平等と多様性の理解が必要不可欠です。詳しくは国際セクシュアリティ教育ガイダンスについて学んでみて下さい。日本はそこが異常と言えるほど遅れています。最近でもLGBTへの差別発言で定期的に政治家が炎上していますが、ああいった代表者にすら正常な基本的人権や多様性への理解がないというのが、残念ながら日本の今の姿です。
性教育については、最近出た本だと教科書にみる世界の性教育にキレイにまとめられており、私も買いました。わりと読みやすい本ですので、興味がある方にはオススメです。

教科書にみる世界の性教育
橋本 紀子 池谷 壽夫 田代 美江子
かもがわ出版 (2018-02-10)
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さて、今回の記事では結論のみ述べます。
性教育が遅れている日本では、基本的人権や、ジェンダー平等と多様性の理解が、子供の頃に全く進みません。人格形成において最も重要な子供の頃にその理解ができないだけでも残念極まりないのですが、なにより、その理解が進まない状態で有害情報へ触れることで受ける悪影響というのが、あまりにも計り知れないところがあります。

幸いなことに平成初期世代、インターネットによく触れるようになるのは、小学校高学年くらいからでした。あまりにも歪な有害情報を経由して歪んだ知識を得る前に、最低限の道徳教育が行われてから、インターネットに飛び込みました。また現代と違ってめっちゃ遅いパソコンで、コンテンツ量も少なかったことで、現代の子供のスマホとは使用時間も圧倒的に少ない時代でした。私が小学生の頃は「おもしろFlash倉庫」という、現代で言うと面白いgif動画をまとめたようなサイトを見るとか、ゲームの攻略情報を検索してみるとか、それくらいがパソコンの全てって感じでしたね。企業サイトもまだまだ少なく、個人が好き勝手にまとめてる情報をまぁ見るくらいでしょうか。
まあ私はわりとインドア派で、このサイト自体が小学生の頃に作ったサイトから引き継がれ続けているんですけどね。最初期は小学生が作ったゲーム攻略サイトでしたよここ。

インターネットそのものが、現代の、未就学児童ですら2~3回の操作でポロっと有害情報にアクセスできてしまうものとは比較にならないほどクリーン。動画コンテンツは容量が大きすぎてほとんど存在しませんでしたし、もはや死語になっている「萌え」も普及していなかったので、美少女画像すらも少なかった時代です。そしてインターネットへの依存度自体も低かったわけですから、それはもう有害情報に触れる可能性が桁違いに低かったわけですね。日本の性教育は遅れているので、もちろん平成初期世代もグローバルスタンダードな性教育は受けられていませんが、有害情報で歪められることもなかったことで、ある程度大きくなってから真っ当な知識を得ることができました。また生まれたのがバブル崩壊と同時期ではあるのですが、崩壊後もしばらくはなんだかんだで日本は元気だったので、今ほど鬱屈した社会情勢ということもなかったと思います。

私は現代の教育では、最低でも小学校中学年くらいまでは、一切インターネットに触らせないことが必要だと思っています。デジタルデバイスそのものが、悪い表現をすれば「ヨダレ垂らしながらスリスリしてるだけ」で脳みその発育を妨げそうですし、それで有害情報に簡単にアクセスできてしまうからです。そういえば、iPhoneにより現代の簡単手軽便利なスマホ時代のベースを作り上げたスティーブジョブズも、子供にはそれを一切使わせないという教育方針でしたね。

キレイだった頃のインターネットを知る最後の世代

現代のインターネットは情報を探しにくくなったと言われます。私もそう思います。

つい最近Twitterでバズってたものだと、こんな感じ。本当にこれなんです。気になったことを検索すると、サイトはやたらキレイに作られているけど結局結論が出ないままアフィリエイトリンクへ進んだり、クソまとめサイトとかばっかり出てくるんですよね今のインターネット。良くも悪くも、インターネットが普及して一般化したことで、お金を目的とした人々(企業)も続々参加しました。SEO対策が完璧で、検索結果の上位を埋めます。個人サイトは消えます。この「お金のため」という汚いサイトって、お金のためなので、なんせ情報も間違ってたり、歪んでたりするわけですよ。本当に気持ち悪いため、最近私は情報を探す時、英語サイトを利用しています。
そして、ただ企業サイトが増えただけではありません。ツイッターのような個人が簡単気軽に書けるサービスが増えたことで、「個人サイト」や「個人ブログ」の数自体も減ったと思います。ツイッターのようなものは長文に向かないことで、「個人が趣味で追求した情報をまとめる場」も生まれにくくなりました。また情報が溢れていることで、逆に追求をしなくなったというのも、評論界(?)ではよく聞く意見ですね。無いからこそ、求める。ありすぎると、むしろシャットアウトする。情報化が進んだ社会で生まれ育った子たちが、どれだけ情報豊かかと思ったら、むしろ情報が豊かすぎて「欲しいものだけを」と偏りやすくなってしまったと、最近はよく言われています。最近は異常なほどに右翼化する若者たちというのが問題になっていますが、これもその一つかなと思います。物事を敵か味方かへ二分化し、勧善懲悪、敵は滅べ、我々は世界最高だ。耳触りだけは良いですからねコレ。

またこのキレイだったというのは、他の意味も持ちます。例えば、最近「行き過ぎているな」と感じる不健全狩りがありませんでした。
学生がやんちゃなことして炎上、学校に通報されるというのが今の世の中は発生しまくりですよね。もちろん、ダメなものはダメなんですけども、私にはどうしても「そこまですることか?」と感じるんです。人の落ち度を見つけたら徹底的に攻撃するの、度が過ぎていて、陰湿で気持ち悪いと思うんですよ。
平成初期世代、2chでアホなことやらかして炎上しても、まぁ1ヶ月すりゃみんな忘れてましたし、人生追い込まれることもありませんでした。むしろ、2chでクソレス合戦で「殺すぞ!」と言った結果、「通報しますた」「殺害予告はアウト」とか来て「やっべぇ、やりすぎちゃった」と震えながら逃げ出すという、痛い目を見てネットリテラシーを学んだという人も多いんじゃないでしょうか。それが今ではワンミスで強制退場なんですよね。実際に警察来るし。あまりにも行き過ぎていると思います。

他にも、今は黒歴史が残り続けるというのもあるでしょうか。
先程も書いた通り、私は小学生、3年生の頃からこのサイトをやっています。そしてまぁ、今にして思えばとんでもなく恥ずかしいものもあったなぁだと思います。発掘されたら恥ずかしさでおしっこ漏らす自信あると思います。が、幸いなことに、ホスティングサービスの消滅と共に一緒に消えたものが多数あります。怖くてもう「まだアレ残ってるのかな」と探すことすら絶対にしませんが、まぁほとんど消えていると思います。仮に残っていたとしても、SEO対策ゼロのサイト、もはや探し出すことは不可能なほどにGoogle検索の最下層にいるでしょう。
この「子供の頃のネット黒歴史が消えた」というのもまた、平成初期世代ならではかと思います。もう少し古い世代だと、インターネット黎明期はもう子供ではありませんでしたし。今の世代はサービスが安定しすぎていることで全部残っちゃいますからね。様々なサービスが乱立しては消えていた時だったからこそ、恥ずかしいものと共に消滅してくれました。

ちなみに私はこの経験から「古すぎる情報は残るべきではない」という方針を取り、過去の情報は消し続けていました。今のこのブログ形式になってからも、2012年より前のログは全て残っていませんね。ツイッターでも定期的に全ログ消していました。最近は黒歴史が残るほど子供じゃない年齢になってきたので、もう消すことは流石にないかな~とも思います。

技術の進化を最高のタイミングで体験した世代

私はガチガチのインドア派引きこもり野郎なので、子供の頃は本当にゲームしかしていなかったんですけど。技術の進化をキレイに体験してきました。

保育園・幼稚園の頃。家にはスーパーファミコンがありました。
また押入れの奥にはファミコンがあり、その時点で古いゲームと今のゲームという区別がありました。

小学生に入るかどうかのあたりでは、ゲームボーイ。ポケモン。ニンテンドー64。スマブラ。ゴールデンアイ。
この頃の小学生は「あいつの家でスマブラ・ゴールデンアイやろうぜ」によってあらゆるコミュニケーションが成立していましたね。なんだかんだでアナログなところがあるので、決して家に引きこもることなく、みんなの家に集まるわけです。また、親がケータイを持ち始めます。

小学校 中~高学年からはゲームキューブ、PS2です。
本格的に3Dの時代となり、特にPS2は日本のゲームメーカーが元気だった時代で、色んなゲームが生まれたと思います。私はここでXboxのHALOをずっとやってました。

中学年になると、だんだんとケータイを持ち始めます。この世代って、「中学年になるとケータイを買ってもらえる」という感じでした。クラスメイトとメールができるようになり、すごい時代になったなぁと感じてきます。人によっては、インターネットのゲームファンサイト(もちろん個人サイト)で、同じゲームが好きな「メル友」を作ってみたりもしていたんじゃないでしょうか。私もです。
この頃のケータイは一つ一つの端末に凄まじい個性があった時代で、ケータイ一つで話題になりましたね。W-ZERO3を買った人は英雄扱いです。今のような、みんな同じような板ということはありませんでした。あ、今となっては「なんじゃそりゃ」って感じですけど、この頃のケータイは「日本のケータイは全てスマートフォン」と言われていたんですよね。日本以外の国のケータイは、くっそ使いづらいPDAみたいなモノ、電話しかできないようなモノばかりでしたから。独自進化した多機能ケータイはまさにスマートフォンでした。

中学年~高校生あたりで、Xbox360やPS3の時代です。いよいよ「オンラインプレイ」が普通になってきます。しかし、ここで日本メーカーはPS2で十分病になってしまい、HD開発に致命的な遅れが出ましたね。またケータイは、モバイル用のSNSサイトが大きく発達。既にiPhoneはありましたが、日本ではまだブームにはなっていませんでした。またインターネットではハルヒブームなども起こっていたような気がします。

大学生。ついにiPhone4が出る頃です。iPhoneブームはこの頃から始まった印象で、私も実はiPhone4が初iPhoneです。それ以降、毎年発売日に買い替え続けています。また、ここでちょうどAndroidスマホも出始めましたね。まぁ、初期のAndroidはもう本当に凄まじいゴミでした。私も何台も購入しました。そして毎回、Android信者が「iPhoneを超えた」と言いながら全部ゴミだったので、もう今後Androidは買わないだろうなとなってました。iPhoneキラーが生まれては撃沈、生まれては撃沈を繰り返していた時代です。そして、あまりにもゴミすぎるクソ端末を日本メーカーが乱発したこともまた、日本でのiPhone一強を後ろ押ししたと思います。

私はその後2012年、ドラクエ10というネトゲにハマることで時が止まりましたが、これもまた、私たち平成初期世代とは少しズレている「MMORPGドハマり世代」の興奮を、学生時代に体験させてくれるゲームだったと思います。その後クソゲーになりましたが。

そして社会に出る頃。Androidもそれなりにこなれて来て、iPhoneと共に「スマホ成熟期」となりました。ここからは画面がだんだん広がったり、性能が上がっていったりをするのみで、ユーザーエクスペリエンスとしての大きな革新はなく、完成度を上げていく時期です。

こうして思い返すと、平成初期世代は、子供にとって一番身近なコンピュータの「ゲーム機」と「ケータイ」の、始まりから成熟するまでをちょうど自分自身の成長とともに過ごしました。ちょっと古い世代だと「大学を卒業してからスマホが登場」ですし、ちょっと新しい世代だと「物心ついたときには既にあった」になってしまいます。平成初期がドンピシャで、誕生から成熟までを学生という多感な時期に一緒に過ごせたと思います。

まとめ

アナログを知識だけでなく実体験として知り、それでいてデジタルの発展をリアルタイムで過ごしたことで適応性もある。デジタルに偏りすぎた現代の10代に発生している事例「キーボードを打てない」ということもなく、デジタルアナログ双方への適性を持つ。インターネット黎明期の面白かった時代も体験でき、叩かれながらネットリテラシーを鍛えることができ、情報分別能力を身につけることができた。

こういう、一番面白い時期を一番多感な歳の時に過ごせたのが、平成初期世代なんじゃないかと思っています。たぶんスマホってあと10年くらいは、高性能化と、他の物との機能連携が進むだけで、根本的な部分は変わりようがないと思うんですよね。これ以上は流石にタブレットサイズになるし、これ以上細くできるフチもないし、薄くするとバッテリーが入らないし。ここからの革新って、脳に直接映像を送れるようにならないと、なかなか難しそうなんですよね。

以上、平成初期生まれは最も恵まれた世代なのではないかという話でした。
「恵まれた」という表現が適切なのかどうか、記事を書き終えた今でも悩んでたりします。社会に出た時にはもう日本経済息絶え絶えじゃないかという部分で言えば、むしろ恵まれてないとも言えますし。とりあえずはまぁ、技術革命とかそういう面においては、ちょうどいいタイミングだったんじゃないかな~と。

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